2009年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年03月

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

第7回 もう1つの岩手競馬・花巻

 地方競馬という概念・言葉が生まれたのは1927(昭和2)年に地方競馬規則が公布され、開催に当たり地方長官の許可が必要となった(政府公認の競馬を除く)ことにある。NAR発刊「地方競馬史」によると、同規則や戦後の競馬法などの下で地方競馬が行われた競馬場は、沖縄県を除く46都道府県・144競馬場(注)に及ぶ。この中には岩手県から盛岡・水沢の他にもう1ヶ所、花巻が含まれている。

 花巻競馬の起こりは、1925(大正14)年に稗貫郡(当時)の有志が競馬場設置を目指して「南部競馬倶楽部」を設立したことにある。同倶楽部は、集めた寄付金(資本金)2万5千円で花巻町(現花巻市)下根子付近の土地2万坪を買収し、1周1600m、幅員27mの競馬場を建設。この競馬場で翌1926(大正15)年4月25日に稗貫郡産馬畜産組合の主催により、最初の競馬が開催された。

 しかしこの競馬は本当の意味で花巻競馬のスタートではなかった。というのも、開催までに馬券発売の認可が下りず、止む無く馬券発売のない花競馬として行ったためである。そのため、馬券発売が認められて最初の開催となった1926年10月23日が花巻競馬の開設日とされている。

 その後1932(昭和7)年まで春秋の年2回開催を行った花巻競馬だが、参加頭数不足と売上低迷に悩まされた。そのため、1933年は春季競馬のみ、翌1934年は秋季競馬のみの開催となり、さらにその後2年間は開催を実施せず、その将来は風前の灯となっていた。

 この状態を危惧した花巻町議会は1937(昭和12)年、花巻競馬に補助金を出すことを決議した。これを受け6月に春季花巻競馬の開催を決め、また盛岡・水沢・花巻が3週連続開催となるように日程調整され、3年ぶりとなる花巻競馬を盛り上げる環境を整えていった。

 そして6月19日より始まった3年ぶりの花巻競馬は、競馬の復活を待ちわびたファンが多数詰めかけ、連日好天に恵まれたこともあって大いに盛り上がった。しかし終わってみれば、花巻競馬の売上は以下のように盛岡・水沢と比べ芳しくなかった。

1937年春季 盛岡競馬総売上高(6月4日から3日間) 27,292円
〃     水沢競馬総売上高(6月12日から3日間) 23,975円
〃     花巻競馬総売上高(6月19日から3日間) 16,367円
(いずれも岩手日報記事より)

 花巻競馬は結果的にこれが最後の開催となり、自然消滅に近い形でその歴史は終止符が打たれた。それでも144競馬場の中には数年間、極端なものは1開催のみという競馬場もある中では、花巻競馬が存在した12年の歴史を短命と片付けてはいけないのかも知れない。

(注)競馬場数は競馬場名を基準にカウント。また、この中には現在、中央競馬を実施している競馬場も含む。

花牧競馬場跡
花巻競馬場跡地。なお、花巻競馬に関する資料は非常に乏しく、競馬場そのものの写真は花巻競馬開場初日の様子を伝えた、1926(大正15)年4月26日付岩手日報以外、確認できていない(出所:「岩手県競馬組合30周年記念誌」・岩手県競馬組合)



スポンサーサイト

| 前史 | 12:00 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

第6回 戦前の水沢競馬場-東(あずま)競馬場と呼ばれて (2)

 水沢競馬は奉納競馬として行われていた当時に倣い、春秋の2回、駒形神社の祝典日に合わせて開催を行っていた。特に5月3日を中心に行われる駒形神社祭に併せて行われる水沢競馬は活気にあふれ、その姿からいかに駒形神社と密接な関係にあったのかを窺い知ることが出来る。

 しかし1934(昭和9)年、初めて駒形神社の祝典からずらし、東競馬場開設25周年記念と銘打ち、6月30日から3日間の開催を実施した。この競馬は賞金額が増額され、時の斎藤実総理からも副賞の寄贈を受けるなど、70頭あまりの駿馬たちが熱戦を繰り広げた結果、この開催は過去の水沢競馬にない空前の成功を収めた。
 これが駒形神社から一人立ちできることを示す節目の開催となり、また水沢競馬場を支えてきた後援会も翌1935(昭和10)年に「水沢競馬倶楽部」と改められ、より強固な支援体制が整えられていった。

・戦争の波にのまれて

 この時、既に日本は戦争への道を突き進んでいた。戦局が次第に激化の様相を呈した中で、政府は1938(昭和13)年に軍馬資源保護法を制定し、地方競馬の根拠法として1927(昭和2)年に公布した地方競馬規則を廃止した。それにより全国の地方競馬は法的根拠を失い、岩手でも1939(昭和14)年をもって盛岡・水沢の両競馬は中止となり、軍馬資源保護法による競馬も岩手では水沢で1940(昭和15)年に行われたのみ。日本競馬会(帝国競馬協会が、参加していた11の競馬倶楽部を統合して1936(昭和10)年設立)も1943(昭和18)年に開催休止となり、(一部の競馬場で馬券を発売しない能力検定競走を実施していたが)競馬場にこだまするファンの歓声は戦争終結まで戻ることはなかった。

水沢競馬場
1912(大正元)年撮影の水沢競馬場。右手の森は駒形神社である
(出所:「岩手県競馬組合30周年記念誌」・岩手県競馬組合)




<この記事は月2回更新です。次回は2月28日に掲載いたします。>

| 前史 | 12:00 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑

2009年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年03月

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。