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第14回 水沢競馬場移転と組合設立(1)-それは土地返還要請から始まった

 戦後、岩手競馬は年々売上を伸ばすとともに開催日数も増加し、県民の娯楽として発展を続けていた。しかし、その流れを阻害しかねない難題が1961(昭和36)年に表面化した。それが旧水沢競馬場の地主による土地返還要請を端とした存廃・移転問題であった。

 これは旧水沢競馬場が農地を転用した借地が多く、地主たちは周辺の宅地化が進んだことにより競馬場に貸すよりも宅地化や開発のために転用してもらった方が利益になると考えたこと。また当時赤字再建団体であった水沢市の財政について、改善が進んでいて近いうちに競馬の収益がなくとも健全化すると指摘し、その理由とした。そして彼らは1961年11月に、1963(昭和38)年度を最後に水沢競馬を廃止し、土地を返還することを求める請願を行った。

 これに対し行政サイドは、水沢市はもちろんのこと、市営競馬を水沢競馬場で行っていた一関市も財政の基盤を失うため、存続を前提として土地問題への対応に当たった。また競馬関係者も、長年水沢の地を支えていた文化であることを訴え、また水沢が廃止されれば盛岡競馬の将来にも悪影響を与えかねないとして、存続に向けて努力することで一致していた。

 この中で旧水沢競馬場の所有関係が複雑だったこと、地主の土地を買収するには数億規模の費用がかかると見積もられたため、現在地での存続は困難という判断に傾いた。これを受け、この渦中にいた当時の水沢市長・佐藤哲郎は1962(昭和37)年5月に「廃止は考えておらず、移転により水沢競馬を存続させる」方針を議会に示し、これをきっかけに競馬場移転に向けた議論が一気に加速した。

 その結果、旧水沢競馬場に隣接していた水沢公園を都市公園の指定を受けることとし、旧水沢競馬場の土地の一部も転用して市の総合グラウンドとして整備。そして水沢競馬は1964(昭和39)年から移転後の新水沢競馬場で開催する方針が示されたのである。

佐藤哲郎氏
水沢競馬場移転に取り組んだ当時の水沢市長・佐藤哲郎氏(「水沢市史 5」より)



胆江日日新聞
1962(昭和37)年の胆江日日新聞による胆江地方の十大ニュース(読者投票)に、競馬場移転のニュースがランクイン。競馬ファンならずとも大きな注目を集めたことが伺える。(1962年12月29日付「胆江日日新聞」より)


<次回は7月11日(土)に更新します。>
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