2009年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年08月

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

第15回 水沢競馬場移転と組合設立(2)-組合設立の背景

 地方競馬の歴史を語る上で、地方競馬全国協会(以降、NAR)の設立などが定められた1962年の競馬法改正を避けて通ることは出来ない。というのもこの改正により、地方競馬の主催者を原則都道府県に限ると改正されたためであり、この改正競馬法の素案が明らかになった当時、各地方競馬主催者には大きな動揺が広がった。

 それは地方競馬の開催に関わっている多くの市区町村が開催権を失うためであり、南関東を中心に全国の主催者から反対の声が上がった。もちろん水沢市と一関市もこの声に足並みを揃えていたが、一方で継続して岩手競馬を主催する(岩手競馬から収益を得る)立場を維持するため、県ともに一部事務組合(注)を設立することが不可欠と判断した。

 実はこの時、改正競馬法議論とは別に、既に業務の効率化を目指して主催業務の一元化に向けた検討が始まっていた。そこには1953(昭和28)年を最後に市営競馬の開催を休止していた盛岡市から、開催復活を検討しているという声が届いていたこともあり、盛岡市営競馬復活の際の受け皿となることも含めて検討は進められていた。

 ところが盛岡市は一貫した方針を示さなかったため、組合に盛岡市が加わるかどうかで混乱した。さらに新たな課題として、1964年の水沢競馬場移転にかかる4千万とも5千万ともいわれた建設費用を、水沢市と組合のどちらが負担するのかでも話し合いは思うように進まなかった。

 最終的な方針が決まったのは1963年11月のこと。その内容は、岩手県・水沢市・一関市を構成団体として組合を設立し、1964年度より岩手競馬の全開催は組合が主催することが、そして新水沢競馬場の建設費用は組合負担とすることで決着した。

 なお、競馬法改正に伴う市区町村の開催権については、競馬場所在地および災害指定を受けていた自治体には暫定的に開催権を認められた。しかし競馬場所在地については、年間1開催以上実施しなければ開催権を失うとされたことが、後に組合に無言のプレッシャーを与えることになる。なぜならこの時、新水沢競馬場は着工すらされていなかったのだから。

(注)本来は行政サービスの一部を複数の自治体が共同で行うために設立するものだが、公営競技主催団体として設立されることも多い。なお、地方競馬で主催者の一元化が実現していない競馬場は金沢(石川県営・金沢市営)のみで、その他は組合営もしくは単一自治体の主催である。

馬検場

岩手県競馬組合設立時から1970(昭和45)年まで、盛岡市松尾町の旧馬検場に組合事務所があった。現在は旧・競馬会館にあった親子馬像「春風」が移設されている。

<次回は8月8日(土)に掲載いたします。>
スポンサーサイト

| 水沢競馬移転 | 12:00 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑

2009年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年08月

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。