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第33回 新時代の岩手競馬へ・・・番組体系が整備された1975(昭和50)年

 1975(昭和50)年に岩手競馬は番組体系の整備に取り組んだ。それまでの岩手競馬の主要競走の多くにつけられていた“農林大臣賞典”や“地方競馬全国協会会長賞典”といった堅い名前がすべて姿を消し、すべての重賞・特別競走に固有の名称が付けられた。これによりレースのクオリティがファンにわかりやすくなり、またファンに親しみやすくなったことで、更なる発展への第一歩となった。

 その中から重賞レースをいくつか紹介すると、「シアンモア記念」と「ビューチフル・ドリーマーC」は小岩井農場が輸入・繁養され、戦前戦後はもちろん現代の競馬にも息づく一大血脈を築いた大種牡馬シアンモアと名繁殖牝馬ビューチフル・ドリーマーの名を冠して創設した。またファン投票によるサラブレッドとアラブそれぞれのグランプリレースとして、県の花である広葉樹の“桐”の名を冠した「桐花賞」が、また下駄やたんすなどの材料として使われる時に木が淡い紫色をおびていることから“南部紫桐”とも呼ばれていたことにちなんだ「紫桐杯」が創設された。

 そして第1回の桐花賞と紫桐杯は、それぞれ白熱した戦いとなった。第1回の桐花賞は旧盛岡の直線一杯に人馬のプライドを激しくぶつけ合い、最後までどの馬が勝つかわからない叩き合いとなった。そして前年の第2回みちのく大賞典を制したスリービート、2ヶ月前に行われたシアンモア記念の初代チャンピオンとなったユウズルといった実力馬たちを抑え、鞍上の葛西勝幸氏(現調教師)ともどもビッグタイトルに縁のなかった人気薄のシンダイヤが激戦を制した波乱の結末となった。

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第1回桐花賞のゴールシーン。大接戦を制して先頭でゴールするシンダイヤ(7番)出典:「岩手県競馬組合30周年記念誌」(岩手県競馬組合)


 また第1回の紫桐杯を制したのは、最後方からの追い込みという破天荒な戦法を取ることから“黒い弾丸”と呼ばれたブラックリョウが輝いている。主戦騎手の小西重征氏(現調教師)は「とにかく気が悪い馬で、浦和時代に逸走で2度出走停止になって、もう1回やったらアウトというところで岩手に来たけれど、岩手でも“出走停止90日”なんて制裁をもらったな。旧盛岡だったけれど、4コーナーで内ラチ沿いが開いたのに気づいてそこに突っ込んだらすごい脚を使って一気に先頭に立った途端、外ラチに吹っ飛んでいって、他の騎手から“手綱を引く暇もなく目の前を横切って行ったよ”って言われたこともあったね」と振り返るほど、気性の激しさも一級品だった。

 しかし極端な戦法を選んだことで高い能力も引き出され、1972(昭和47)年の転入以来、多くのタイトルを得ていた。この当時は頃には既に全盛期を過ぎていた感はあったものの、後方からのレースで並み居る先行馬をゴボウ抜きし、最後は粘るイチヤマトップも捉えゴールイン。個性派としてファンの多かったブラックリョウにとって最もふさわしいタイトルを獲得した。さらにブラックリョウは、翌年も勝てないレースが続いた中で駒を進めた紫桐杯で連覇を果たし、この時代を彩るアラブの名馬としての最後の輝きを放ったのである。

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ブラックリョウが優勝した第1回紫桐杯の成績表(提供:NAR地方競馬全国協会)




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