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第4回 戦前の盛岡競馬場-菜園から黄金、そして新黄金へ (2)

 時代は大正を超え、昭和を迎えると、新黄金競馬場構想が持ち上がった。これは1つに黄金競馬場周辺の耕地整理を進めるためであったが、平行して盛岡競馬の政府公認を目指す運動があり、そのためには走路を帝国競馬協会(政府公認の東京・横浜など11の競馬倶楽部の統括団体として1921(大正10)年設立。現在のJRAの起源でもある)が定める規模とする必要もあった。

 この構想は黄金競馬場の走路拡幅にて対応できるとして、1933(昭和8)年に春季盛岡競馬(5月下旬ごろの開催が多かったが、時期については毎年異なる)を延期して、用地買収をはじめとした準備を進めていた。しかし、肝心な用地買収が不調に終わり、買収を断念。これを受け県産馬組合連合会は、5月に春季盛岡競馬の中止と、黄金競馬場から更に北に行った、高松池近くの毛無森への移転を発表した。
 それから新黄金競馬場の工事は急ピッチで進められ、秋には帝国競馬協会の基準をクリアする1周1600m、幅員16mの新競馬場も完成した。そして落成記念競馬となる秋季盛岡競馬を11月3日から行うと発表し、全国から競馬関係者が招待されるなど、開催に向けた準備も着々と進んでいた。

 ところが開催に向けて出走予定馬の調教が始まると、調教に乗っていた騎手から走路の路盤が緩く、危険なので開催を延期してほしいとの要望が出た。急ピッチの工事ゆえ、路盤が固まっていなかったためで、協議により初日は開場式のみを実施し、レースは翌週の10日からに延期されることになった。
 そして1年ぶりの盛岡競馬となった11月10日は、朝早くから多くのファンが詰めかけた。新競馬場で最初に行われた繋駕(けいが)速歩競走は、その後の岩手競馬の繁栄を予感させるかのようにコーフク号が勝利を収めると、その後も熱戦のレースが続き、3日間の開催中、競馬場は興奮の波が冷めぬままに大成功のうちに開催を終了させることができた。

 ところで、この新黄金競馬場(以降、旧盛岡競馬場)は、黄金競馬場時代の右回りから左回りへと変更されている。これは、旧盛岡競馬場の設計に携わった一條牧夫の息子である一條友吉(1884(明治17)~1949(昭和24))のサラブレッドとともに歩んだ生涯を振り返らなければならないが、それについては別の機会にご紹介することにする。

黄金競馬場2
移転間もない1935(昭和10)年頃の旧盛岡競馬場
(出所:「岩手県競馬組合30周年記念誌」・岩手県競馬組合)

<この記事は月2回更新です。次回は1月31日に掲載いたします。>
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