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第6回 戦前の水沢競馬場-東(あずま)競馬場と呼ばれて (2)

 水沢競馬は奉納競馬として行われていた当時に倣い、春秋の2回、駒形神社の祝典日に合わせて開催を行っていた。特に5月3日を中心に行われる駒形神社祭に併せて行われる水沢競馬は活気にあふれ、その姿からいかに駒形神社と密接な関係にあったのかを窺い知ることが出来る。

 しかし1934(昭和9)年、初めて駒形神社の祝典からずらし、東競馬場開設25周年記念と銘打ち、6月30日から3日間の開催を実施した。この競馬は賞金額が増額され、時の斎藤実総理からも副賞の寄贈を受けるなど、70頭あまりの駿馬たちが熱戦を繰り広げた結果、この開催は過去の水沢競馬にない空前の成功を収めた。
 これが駒形神社から一人立ちできることを示す節目の開催となり、また水沢競馬場を支えてきた後援会も翌1935(昭和10)年に「水沢競馬倶楽部」と改められ、より強固な支援体制が整えられていった。

・戦争の波にのまれて

 この時、既に日本は戦争への道を突き進んでいた。戦局が次第に激化の様相を呈した中で、政府は1938(昭和13)年に軍馬資源保護法を制定し、地方競馬の根拠法として1927(昭和2)年に公布した地方競馬規則を廃止した。それにより全国の地方競馬は法的根拠を失い、岩手でも1939(昭和14)年をもって盛岡・水沢の両競馬は中止となり、軍馬資源保護法による競馬も岩手では水沢で1940(昭和15)年に行われたのみ。日本競馬会(帝国競馬協会が、参加していた11の競馬倶楽部を統合して1936(昭和10)年設立)も1943(昭和18)年に開催休止となり、(一部の競馬場で馬券を発売しない能力検定競走を実施していたが)競馬場にこだまするファンの歓声は戦争終結まで戻ることはなかった。

水沢競馬場
1912(大正元)年撮影の水沢競馬場。右手の森は駒形神社である
(出所:「岩手県競馬組合30周年記念誌」・岩手県競馬組合)




<この記事は月2回更新です。次回は2月28日に掲載いたします。>
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