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第7回 もう1つの岩手競馬・花巻

 地方競馬という概念・言葉が生まれたのは1927(昭和2)年に地方競馬規則が公布され、開催に当たり地方長官の許可が必要となった(政府公認の競馬を除く)ことにある。NAR発刊「地方競馬史」によると、同規則や戦後の競馬法などの下で地方競馬が行われた競馬場は、沖縄県を除く46都道府県・144競馬場(注)に及ぶ。この中には岩手県から盛岡・水沢の他にもう1ヶ所、花巻が含まれている。

 花巻競馬の起こりは、1925(大正14)年に稗貫郡(当時)の有志が競馬場設置を目指して「南部競馬倶楽部」を設立したことにある。同倶楽部は、集めた寄付金(資本金)2万5千円で花巻町(現花巻市)下根子付近の土地2万坪を買収し、1周1600m、幅員27mの競馬場を建設。この競馬場で翌1926(大正15)年4月25日に稗貫郡産馬畜産組合の主催により、最初の競馬が開催された。

 しかしこの競馬は本当の意味で花巻競馬のスタートではなかった。というのも、開催までに馬券発売の認可が下りず、止む無く馬券発売のない花競馬として行ったためである。そのため、馬券発売が認められて最初の開催となった1926年10月23日が花巻競馬の開設日とされている。

 その後1932(昭和7)年まで春秋の年2回開催を行った花巻競馬だが、参加頭数不足と売上低迷に悩まされた。そのため、1933年は春季競馬のみ、翌1934年は秋季競馬のみの開催となり、さらにその後2年間は開催を実施せず、その将来は風前の灯となっていた。

 この状態を危惧した花巻町議会は1937(昭和12)年、花巻競馬に補助金を出すことを決議した。これを受け6月に春季花巻競馬の開催を決め、また盛岡・水沢・花巻が3週連続開催となるように日程調整され、3年ぶりとなる花巻競馬を盛り上げる環境を整えていった。

 そして6月19日より始まった3年ぶりの花巻競馬は、競馬の復活を待ちわびたファンが多数詰めかけ、連日好天に恵まれたこともあって大いに盛り上がった。しかし終わってみれば、花巻競馬の売上は以下のように盛岡・水沢と比べ芳しくなかった。

1937年春季 盛岡競馬総売上高(6月4日から3日間) 27,292円
〃     水沢競馬総売上高(6月12日から3日間) 23,975円
〃     花巻競馬総売上高(6月19日から3日間) 16,367円
(いずれも岩手日報記事より)

 花巻競馬は結果的にこれが最後の開催となり、自然消滅に近い形でその歴史は終止符が打たれた。それでも144競馬場の中には数年間、極端なものは1開催のみという競馬場もある中では、花巻競馬が存在した12年の歴史を短命と片付けてはいけないのかも知れない。

(注)競馬場数は競馬場名を基準にカウント。また、この中には現在、中央競馬を実施している競馬場も含む。

花牧競馬場跡
花巻競馬場跡地。なお、花巻競馬に関する資料は非常に乏しく、競馬場そのものの写真は花巻競馬開場初日の様子を伝えた、1926(大正15)年4月26日付岩手日報以外、確認できていない(出所:「岩手県競馬組合30周年記念誌」・岩手県競馬組合)



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