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第16回 組合設立と水沢競馬場移転(3)-決まらない移転先

 話は競馬場移転に戻るが、水沢競馬場を移転する方針は決まったものの、実際の移転先はなかなか決まらなかった。それは市内各地から競馬場誘致の陳情が相次いだためで、その先鞭をつけたのが1963(昭和38)年1月末に水沢市に誘致の陳情を行った安久戸地区であった。その後立て続けに佐倉河地区、真城地区など陳情が相次ぎ、最終的には10箇所にも及ぶ陳情が舞い込んだ。

 この中で有力とされたのが佐倉河地区の桜木橋付近であった。水沢市の北部・北上川の河川敷に位置していたこの候補地は、建設省(当時)が管理していた土地で、水沢市はこの土地を無料で借りることで建設費を安くあげられるという皮算用があった。また地域住民も、市境が近かった江刺市(当時)を含め歓迎モードだったことから、組合設立の方針が決まった1963年11月に佐倉河地区を移転先に選定。あとは旧建設省が土地の使用許可を出せば、建設にゴーサインが出るはずだった。

 しかし水沢競馬が新競馬場で行なわれるはずの1964年、この計画に暗雲が立ち込める。新競馬場予定地の土地を建設省から借り受けようと申請したところ、なかなか許可が出ず、関係者をいらだたせた。それが次第に許可が下りないのではとの声になり、このままでは水沢競馬の歴史が潰えるという危機感へと変った。すると競馬関係者が多く在住していることを訴えて当初の選定時に最後まで佐倉河地区と競り合った笹森地区と、最初に誘致の陳情を行いながら佐倉河地区が有力と伝えられると混乱は好ましくないとして陳情を取り下げていた安久戸地区が、誘致活動を再開させたのである。

 結果的に佐倉河地区は、予定地のすぐ上流の区域で工事の予定が入っていた関係などから建設省から許可が下りないことが明らかとなり、組合は5月に建設断念を決断。改めて笹森、安久戸の両地区を候補地に選定作業を行い、競馬場建設が容易と考えられたことなどの理由で、改めて安久戸地区の小谷木橋付近を選定して、用地買収に向けた交渉を開始した。

 しかし約1万5千坪に及ぶ用地買収の交渉は、一時、旧競馬場を1年限定で借りての水沢開催実施が模索される程に難航した。それは元々開発に向かない土地であることに加え、この年の東京オリンピックも含め高度成長期にあったことから、地主にとって高く売る好機となったためである。結局買収に目処が立ち、工事がスタートしたのは夏も盛りの8月。この時、年度最終開催として予定されていた新競馬場での開催は11月7日からと発表されており、それまであと3ヶ月と迫っていた。

新聞資料

佐倉河地区への移転断念を伝える胆江日日新聞の記事(資料引用:1964年5月23日付「胆江日日新聞」より)

地図資料

競馬場所在地とその候補地 ①旧水沢競馬場 ②現水沢競馬場 ③当初の移転予定地であった佐倉河地区の桜木橋付近 ④熱心な誘致活動を行なっていた笹森地区(地図引用:国土地理院 1/25,000地形図「水沢」より一部編集のうえ使用)
※おことわり・上記地図は「テシオ」2002年12月号の「いわて競馬今昔物語」でも掲載しておりましたが、新たな事実が判明したことを受け、一部地点を変更しております。
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