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第20回 女性騎手第1号・高橋クニ誕生(2)

 クニ氏の言葉に武氏は、反対する気持ちはなかったというが、女性騎手がいるという話はもちろん、騎手になれるという話も聞いたことがなかった。そこで当時、NARから岩手に派遣されていた職員に尋ねたところ「ちゃんとした技術があって、試験に合格すれば女性でも免許を出す」という答えだった。それを伝え聞いたクニ氏は本気になった。武氏も「努力してダメだったら仕方ない」と、持っていた競馬の本を学科試験の参考書代わりに渡したり、技術指導に乗り出すなど、協力を惜しまなかった。

 しかし武氏の話によると、繋駕の騎手といえども騎手試験は乗馬(今でいう平地競走)で行われることから、その技能の会得には苦心したという。中でも“飛び乗り”は体力がある若い女性でもなかなか難しく、普段から馬に接していたクニ氏にとっても大きな壁であったが、情熱とたゆまぬ努力でそれを克服した。

 そしてクニ氏は1966年に騎手試験を合格し、その年の春の水沢競馬で繋駕専門の騎手としてデビューした。この時実に38歳。夫の武氏も現役として活躍していた夫婦ジョッキーであったことも含め、国内女性騎手第1号は異色ずくめであった。そしてデビュー間もない3戦目には、自らの手で復活への道しるべをつけ、騎手への夢を与えてくれたホマレの手綱を取り、初勝利を挙げたのである。

 それをきっかけにクニ氏は“日本唯一の女性ジョッキー”としてメディアでも紹介されるようになり、岩手競馬の注目度を高める役割を担った。もちろん、クニ氏が絶えず努力を積み重ね、繋駕で活躍する多くのトップジョッキーたちと白熱した戦いを演じたことで、ファンからも信頼を得ていた騎手であったことを忘れてはならない。

高橋クニの騎乗姿

レース中の高橋クニ氏の雄姿 出典:「岩手県競馬組合30周年記念誌」(岩手県競馬組合)

新聞記事

高橋クニ氏がテレビで紹介されることを報じた胆江日日新聞の記事(1966年7月12日付「胆江日日新聞」より)

追記・高橋クニを女性騎手第1号と定義する理由

 高橋クニはJRA(前身含む)またはNARが発行した騎手免許により騎乗した最初の女性であることから第1号と定義している。ただし免許を得たという意味では、1936(昭和11)年、京都競馬倶楽部の騎手試験に合格した岩手出身の斉藤澄子がいる。しかしデビュー直前に帝国競馬協会(当時)は、風紀を乱すとして騎乗を取りやめるよう通達を出し、また翌1937(昭和12)年設立の日本競馬会は会則で女性が騎手となることを禁じたため、実際にレースで騎乗することはできなかった。
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