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第25回 伝説の大騎手・村上昌幸の初リーディングまでの軌跡(2)

 1年目のシーズン終了後、村上昌幸氏は再び浦和に渡った。今度は実戦騎乗もあった武者修行。当時の南関東は佐々木竹見、高橋三郎といった日本の競馬史に語り継がれる名騎手をはじめとした人気ジョッキーたちがシノギを削っていた。そんな彼らと実戦の中で競い合った経験を岩手に持ち帰り、2年目からのシーズンに活かすことができた。

 また岩手ではデビュー当時からリーディングジョッキーに君臨していた小西重征氏(以降、小西氏)に積極的にアドバイスを求めていた。2人は盛岡と水沢で所属が分かれていたが、盛岡開催になると昌幸氏は毎日小西氏の部屋に足を運び、一緒にパトロールビデオを見ながら「俺がどう乗っているのかを見ながら、俺が何を考えて乗っていたのかばかり聞いて来ました」(小西氏)という。

 こうして96勝を挙げた2年目はリーディング2位に順位を上げ、いよいよリーディング奪取に期待がかかった3年目。開幕から快調に勝ち星を伸ばし、順風満帆のシーズンを過ごしていた。

 ところが好事魔多し。あるレースで失格となり、騎乗停止10日という厳しいペナルティを科された。この時のレースを昌幸氏は今も鮮明に覚えているという。

 「普段でも行儀の悪いところがあった馬でさ。逃げ馬なんだけど、その時もちょっとヨレて後ろに迷惑をかけた形になってね。でも乗ってる感覚だとそんなに迷惑はかけていない気がしたけど、結局失格になっちゃって・・・。その間はレースに乗れないのが辛かった」

 しかし18歳の若者は、復帰後も若さあふれる騎乗でほぼ毎日のように固め打ちを繰り返し、次第に独走態勢を築いていった。そして1970年に小西氏が記録したそれまでの年間162勝も突破した昌幸氏は、シーズン最終日の最終レースも勝利で締め、初のリーディングを当時不滅といわれた年間最多勝記録187勝で花を添えたのである。

 昌幸氏は「今となってみれば、騎乗停止がなければ200勝出来たかもって思うけれど」と残念がっていたが、この年の開催日数は現在よりも少ない90日で、うち10日を騎乗停止で乗れなかったことを考えれば、現在のような騎乗制限がなかったことを差し引いても驚異的な記録であることが伺える。

 またこの年の775鞍という騎乗数にも注目したい。実はデビュー当初はサウナで体重を落とせないことがあったほど体重調整に苦しんでいた。この騎乗数にはそれを克服し、持って生まれた素質を発揮できる騎手に成長したことを証明していた。そしてこの後、昌幸氏は毎年100勝前後の勝利を積み重ねながらリーディングの座を守り続けたのである。

デビュー当時の村上昌幸氏
デビュー当時の村上昌幸氏(提供:村上昌幸氏)

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