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第27回 岩手競馬に咲いた大輪の花・・・高橋優子の短すぎる生涯(1)

 「学校はやめた。騎手になる。先生とも相談して決めたから何としても馬をやる」

 この時代の岩手競馬を語る上で避けては通れない人物がいる。1969(昭和44)年にデビューした女性騎手・高橋優子がその人であり、この言葉は高校に入学して半年ほど経った頃に担任の先生と共に帰ってきた彼女が両親に対して語った、不退転の決意であった。

 実は高橋優子(以降、優子氏)の母は1966(昭和41)年に日本初の女性騎手としてデビューした高橋クニ氏であり、父は当時騎手兼調教師であった武氏である。この二女として1950(昭和25)年9月15日に生まれた優子氏は、馬が身近にいる生活の中で幼い頃から父の厩舎で馬と一緒に遊ぶことが多く、時には1人で厩舎から馬を出してきて、その馬に乗ることもあったという。

 しかし中学生になる頃から馬に触れる機会がほとんどなくなった。同世代の仲間たちと一緒にいる時間が増えたためである。中学では部活動に夢中だったことから、武氏は「もう馬には興味がなくなったのだろう」と思っていた。もっとも「女だから騎手になってほしいと思ったことはなかった」のだが・・・。

 ところが優子氏は中学の卒業を前に「馬関係の仕事に就きたい」と言い出すようになった。これを聞いた武氏は、中学を通じて宮内省などに相談してみたところ「女性は採用しない」と返事が返って来た。そのため優子氏は進路を変更し、高校に進学したが、ここで大きな“事件”が起こる。進学と時を同じくして母・クニ氏が騎手としてデビューしたのである。

 話をクニ氏が騎手を目指した時に戻す。クニ氏が騎手を目指すことに対して多くの批判や反対の声が上がることを予測した武氏は、勉強を始めたことを夫婦の秘密として、周囲だけではなく家族にも内緒にされた。優子氏はそのことに薄々気がついていたそうだが、それが現実になるとは思っていなかった。だがそれを実現させ、騎手となった母の姿を見るうちに、自分が夢を諦めたまま高校生活を送ることに次第に耐えられなくなっていった。

 そして優子氏は行動に移す。高校の担任にその思いを伝えた上で、両親を説得してもらえるように頼んだのである。

高橋優子氏
高橋優子氏(出所:「岩手県競馬組合30周年記念誌」岩手県競馬組合)



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