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第28回 岩手競馬に咲いた大輪の花・・・高橋優子の短すぎる生涯(2)

 優子氏の決意を聞いた両親は驚いた。これがもしクニ氏が騎手を目指す前ならば「女の仕事ではない」と反対できたかも知れないが、2人とも現役の騎手である。自らが職とする仕事に飛び込んで来ようとしている娘の固い意思の前に、2人とも反対はせず「途中で投げ出すことだけはするな」と声をかけたという。

 ただし優子氏が目指したのは両親が活躍する繋駕ではなく(注1)、平地の騎手であった。そのため平地を専門的に教えられる所で教わった方がいいと考えたが、1964(昭和39)年に栃木県に開所した騎手教養所(現・地方競馬教養センター)はまだ女性を受け入れる体制になかった。そこで教養所の教官から手紙で技術的な指導を受けることとし、併せて水沢の別の厩舎に下乗りとして預けられることになった。

 ところが優子氏は間もなく、落馬事故によって骨盤を骨折する大ケガを負った。この時、武氏は心配していた一方で「馬から落ちてケガでもすれば諦めると思っていたから、これでやめてくれると思っていた」と振り返っている。しかし優子氏は「自転車で転んだってケガをする。だから馬から落ちてケガをするのは当たり前だ」と言って意に介さなかった。その姿に武氏は感心するとともに、なんとしても騎手になるという強い意志を感じ取ったと語っている。

 その後ケガが癒えた優子氏は「手元に置いていては一人前の騎手になれない」と考えた武氏の意向もあり、長く親交のある新潟の河内義昭調教師(注2)の下で修行することになった。親元を離れた優子氏は「(騎手試験に)合格するまで岩手に帰らない」と心に決め、腕を磨いた。そして1968(昭和43)年の春に受けた試験では不合格となってしまうが、この年暮れに受けた2度目の試験で見事に合格。晴れて日本競馬史上初となる平地の女性騎手が誕生した。

 1969(昭和44)年4月20日に行なわれた水沢競馬の第6レース。ここで父・武氏が管理するキタノヒメとのコンビで初めて岩手の競馬ファンの前に姿を見せた。この初戦はシンガリ(5頭立て)に敗れ、その後もなかなか勝利まで届かなかったが、6月8日の水沢競馬でやはり高橋武厩舎のスイセンカクとのコンビで待望の初勝利を挙げる。すると男性騎手顔負けの力強い手綱捌きで勝ち星を積み重ね、高橋武厩舎の(平地の)主戦騎手として活躍を始めていった。

(注1)高橋武氏は繋駕中心の騎手ではあったが、平地にも騎乗していた。ちなみに高橋優子氏のデビュー2戦目で親子同時騎乗も果たし、その後も幾度か親子共演があった。

(注2)高橋武氏が手がけた“ホマレ”(連載19回参照)が新潟にトレードされたときの所属先。なお、河内義昭氏は河内洋・現JRA調教師の叔父にあたる。

高橋優子のレース中の写真
高橋優子氏の騎乗フォーム(出典:「岩手県競馬組合30周年記念誌」岩手県競馬組合)


初勝利の成績表
高橋優子氏が初勝利を挙げた際の成績表(提供:NAR地方競馬全国協会)


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