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第30回 岩手競馬に咲いた大輪の花・・・高橋優子の短すぎる生涯(4)

 高橋優子の存在そして活躍は、それまで社会的には男性社会の象徴の1つと見られていた競馬界に風穴を開けた。また競馬界の内部から見ても、女性騎手が誕生したというだけではなく、女性でも優秀な技能を持つ騎手が登場する事を証明したことは衝撃以外の何者でもなかったであろう。それゆえ優子氏は新聞の社会面やテレビへのゲスト出演などを通じ、その生い立ちや活躍ぶりが紹介されるようになった。

 その象徴的な出来事として、1971(昭和46)年に大晦日恒例のNHK紅白歌合戦に審査員として出演したことが挙げられる(注)。紅白の審査員といえば“その年の顔”や“時代の旬”の人が数多く選ばれることから、いかに優子氏が世間から注目されていたかが伺える。と同時に、地方競馬関係者の紅白出演は他に例がなく、その意味では地方競馬史における快挙と言って過言ではないだろう。

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高橋優子氏を紹介する河北新報の記事(1971(昭和46)年2月5日付「河北新報」(「岩手県競馬組合30周年記念誌」(岩手県競馬組合)より転載))


 また、厩舎での優子氏は馬運車の運転手という役割も担っていた。この当時の盛岡⇔水沢間の輸送は、各厩舎が自前で持つ馬運車で輸送していたが、高橋武厩舎には大型免許を持つ者がいなかった。そこで優子氏は大型免許を取り、盛岡開催に出走する馬を積んだ馬運車のハンドルを握ったのである。盛岡開催の時は夜中に調教に乗った後に馬運車に馬を積み、運転をして到着すればすぐレースに騎乗する。そしてレースが終われば休む間もなく再びハンドルを握り、来た道を戻って来る厳しさだった。

 そういった日々を積み重ねる中で、優子氏の手綱捌きはより一層磨きがかかり、3年目以降もコンスタントに勝ち星を積み重ねた。その成長ぶりを見守っていた父・武氏は「いずれは調教師となって、女性でも馬を育てる仕事ができることを示してほしい」という夢を抱くようになっていた。

(注)この時の優子氏は競馬場での勝負服姿とは違う着物姿を披露している。なお、この時の映像はNHKの映像ライブラリー「NHKアーカイブス」(埼玉県川口市)ほか、全国のNHK地方局等で視聴できる。

騎乗合図を待つ高橋優子
騎乗合図を待つ高橋優子氏(右端) 出所/「岩手県競馬組合30周年記念誌」(岩手県競馬組合)

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パドックでの高橋優子氏 出所/「岩手県競馬組合30周年記念誌」(岩手県競馬組合)
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